耳の違和感とジャガイモと。
7時半に家を出て、総合病院へ。
先週から調子の悪い右耳を見てもらうことにしたのだ。この病院は、全国的に有名な病院というのもあるのだろうが、とにかく患者さんが多い。
だから、8時に間に合うように受付を済ませ、問診票を提出した後、そのまま待合室で待たずに一旦帰宅する。30分以内で駐車場を出ると無料なので、脇目も振らず駐車場に向かう。
帰宅すると、作業着に着替えて畑。
明後日は雨が降る予報だし、明日は大学生たちと週末イベントの予行演習があるので、この時間しか取れない。
管理機で溝を掘る。
今回のジャガイモはキタアカリという品種。
男爵との掛け合わせなので、ホクホクして美味しい。
いろんな大きさの種芋が欲しかったので、ホームセンターで「混」というラベルの芋を5キロ買ったのだが、残念ながら20グラムにも満たない小さな芋しか入っていない。
小さな種芋でも芽が出ないわけでもないので、そのまま植えることに。
今回は木灰をまいて1週間後に鶏糞を元肥としてまき、その後2週間たってからの植え付けとなり、なかなかいい感じのスケジュール。
30センチの間隔で種芋を置き、間に鶏糞を2つかみ。
ジャガイモの脇には去年の秋にニンニクを植えてある。5月過ぎまで気の長い栽培だが、できるのが楽しみ。
ジャガイモを置いた写真を撮ればよかったが、すでに管理機で土をかけた後。
この後発芽を待って、芽かきして追肥して草取りして収穫は5〜6月!
帰宅して2時間弱作業して、病院へ再び向かう。
11時過ぎに到着。
少し待って、聴力検査を行う。小学生ぶりくらいではないだろうか。
結果は、右耳の聴力低下。
聴力低下により、耳鳴りや不安定な感覚があるらしい。難聴とまではいかないようだが、1週間服薬することになった。
治ればいいけどな。
妻には老化だね、と言われる。
重大な病気じゃなくて、安心できただけでよかったか。
ゴールデンウィークには食べられます。
気がつけば2月も後3日。
そろそろ春の準備をしなければ、ということで今日の王国作業は、種まき。
肥料をまいてトラクターで耕し、畝立て機で畝を立てた後の状態。
レーキを使って畝をならしてやる。
その後、種まき機を使って播種。
写真のような播種機を使ってまいたのは、
小松菜、水菜、山東菜、そしてカブ。
手でまいたのは二十日大根。
カブは董立ちが少し遅いので長く収穫できるお役だち野菜だ。
覆土がわりに籾殻をかけてやる。
この地域は年度が強く、土目が荒いので、籾殻だけで十分覆土の役目を果たす。
籾殻をかけた後は、不織布をかける。
これは保温と、虫除けと風除けを兼ねている。
この時期はこれを欠かすことができない。
今日まいた野菜は、4月から5月の野菜が少ない端境期に収穫期を迎える。ちょうど春で、虫がどんどん出てくる時期だ。
種を蒔き始めると、もう春がそこまで近づいている感じだ。
午後からは、山小屋に置いてあった長めの枝をみんなが燃やしやすいように短く玉切りする。愛機のハスクバーナ550xpで切った後、代表が斧で割る!
きれいに積むと、山小屋周りもスッキリしてきた。
4月の花見は、ここでみんなで集まりたいな。
水利の準備作業!
今日は水利組合の共同作業。
3月から使い始めて、6月くらいに使用を終えるので、8ヶ月ぶりの作業。
基本的に水利を使う地権者が出役するようになっている。
防護柵の扉をあけて、山奥へ進む。
川の中腹に、堰が作ってある。
この堰に水をためて、田に流すのだ。
画像では少しわかりづらいが、砂や石があり、あまりいい状態ではない。
水路は、大雨やイノシシ等により完全に土で埋まってしまっているので、毎回土上げをしなければならない。
水路の途中が崩れてしまっている。
昨年秋の大雨の影響だ。
今回はこれを修復するのが大仕事。
通してあった土管をどけて、塩ビパイプに交換。
私は水利組合会計を仰せつかっているので、お茶を準備したり、足りない資材を買いに行ったりと、ずっと作業をしているわけではない。
水路の修復作業は70代以上の長老方が行い、我々は土嚢を詰めたり運んだりする周り仕事。
1日作業が予定されていたのだけど、みんなの頑張りもあって、なんとか1時間延長で終了することができた。
これで、今年の水利は大丈夫だろう。
我が集落の水利は、私のようなものが見ても危ういバランスで保たれている。この先どうするのか、自分たちが技術を身につけると同時に、展望も持っていかなければならないだろう。
否応なしに、そのうち世代交代は来てしまうしな。
味噌仕込みと止め窯と。
6時20分ごろの撮影。久しぶりに霜が降りていた。
6時に火をつけるはずだったのに、寝坊して6時半からの作業に。
朝一で仕上がった麹を広げる。温度管理に気を配ったからか、とてもいい感じで仕上がった。
ブロックを積んだだけのかまどで大豆を煮る。
3時間半くらいかかった。
大豆を縦に持って軽く潰れたら煮上がり。
これがまたうまいのだ。
今回は初めて、外で味噌を仕込んだ。
秤の上にある機械は豆ミンサー。
味噌を作るためだけの機械で、今のところ年一回の稼働。 10年前に初めてやったときは手回しのミンサーで行なったが、泣けるほど大変だったので、翌年すぐ購入したのだった。
40度以下に冷ました大豆に、塩を切った麹を混ぜてある。麹は高温を嫌うのだ。
ミンサーに入れて、大豆の煮汁を入れながらミンチの固さを調整。参加者の人にやってもらう。味噌作りらしい場面。
団子にして、樽に叩きつけて詰める。
娘たちは、幼児の頃からやっているので、味噌作りはやって当たり前の状態になっている。
たまには夫婦2人で作業している写真を。
仲よさをアピール!う、苦しい(笑)
2時間強で味噌仕込み作業を終えた。
今年も約60キロの味噌を仕込んだ。
そのあとは、参加者みんなでお昼ご飯。
ダジャレの応酬が止まらない、にぎやかなお昼ご飯であった。
イベントが終わったあとは、着替えて炭小屋へ!
今季最後の炭焼きだったのに、今週は全く参加できず、他のメンバーにお任せしっぱなし。
最後の止めがま作業にもほとんど出られず、最後の1時間だけ、滑り込みで作業参加。
赤く見える炎の部分が窯の内部。
窯の中の温度は、推定1200℃ほど。
その後、レンガを詰めてベトで塗り固める。
全ての口を閉めて、作業終了!
この窯は、今年の秋に開ける予定。
気の長い話だ・・・
理想的には年中やりたいけど、今はこれくらいでなんとか続けていこう。なんとか続けて、今年で5年目くらいになるのではないか。
気負わず、仲間で対話しあって進めていこう。
味噌仕込みイベント開始!
曇り空だったが、だんだん晴れてきていい天気になった。
今日は、わが農家民泊たえんどんで行うはじめての味噌仕込みイベント。
今回は泊まり2名、明日の日帰り1名で行う。
初めてだったけど、ありがたいことだ。
午前中のうちに大豆を洗って浸水させる。18時間以上は浸したいので。
大豆は、残念ながら購入したもの。いつかは自家産で!
今日は椎茸のコマうち体験。
前から切ってあった木に、コマを打って行く。
大勢でやったら体験だけど、2人でやったら“仕事”になってしまう(笑)
いつもは子どもの体験なので、大人とやるのは久しぶり。校外学習から帰ってきた二女も作業に加わって、300コマくらい打った。
今年こそ、うまく生えてくれればいいんだけど。
(撮影:高瀬公治氏)
晩御飯はモツ鍋と水炊き。
みんなで楽しくすごす。
落ち着いた感じで時が過ぎていった。
夜には、麹をみんなで確認。
妻が念入りに温度チェックを行ったので、きれいに花が咲き始めている。
明日は6時に大豆に火入れするのだ。
冬の作業の大切さ
王国に上がると、小雨からみぞれに変わった。
さ、寒い。
午前中は、第2農場のドッグランを完成させるためにワイヤーメッシュを張った。昨年秋にテレビ番組の企画で張ったものを、放映が終わった後によりよくするために、この間何日か使って準備してきた。
ドッグランの部分は約200メートル、柵だけの部分が約200メートルで、計400メートル分のワイヤーメッシュで畑を囲ったことになる。
柵の中で作業する、というのは見方によっては虚しいものだけど、現状を見るとこのような対応はやむを得ないだろう。でも、なかなか壮観だ。
昼からは木の片付け。自然王国では、現在のところ切った木は全て薪に回していて、その薪の長さは短くて30センチ、長くて50センチほどにして、サウナや薪ストーブに使用している。
一本の木を何度も切らねばならなくて、結構疲れるけど、薪として積んだあとはとても綺麗だ。
冬には冬のやるべきことをやっておけば、春をあせらず迎えることができるだろう。
夜には、妻たちが今朝仕込んだ麹の様子を見る。温度を計ってみると、35度。ちょうどいい感じ。
我が家で初めてやるイベントだし、気を入れて仕込んでいきたい。
“バッタを倒しにアフリカへ”
発症3日目。少し回復基調を見せるも、外での作業は無理そうだったので、本来なら炭焼は3日目の焚き込みという大事な作業だったのが、お休みさせてもらった。
今日は1日起きていて、夜の塾講師もやってきたのだが、今でも耳鳴りのような音がしていて、あまり元気ではない。じゃ、寝ろよとなるが、結局こんな時間から書き始めているのだった。
著者がラジオに出ていたのをたまたま聞いていたので、ぜひ読みたかった一冊。
著者の研究対象はサバクトビバッタというバッタ。
アフリカで大発生した場合、農作物に甚大な被害を与えるので、世界的に重要な生物。しかし、直接の観察結果に基づく論文が少ないらしく、著者は実際に西アフリカのモーリタニアに住み込んで研究を行う。
著者によると、最近は研究室で研究を進める研究者が多いらしく、野外で研究をするのはあまり盛んではないらしい。
でも筆者は、「バッタの研究がしたい!」と言い続け、無収入になる危機に陥っても、「それでもバッタの研究がしたい!」と行動し続ける。
ここに、著者の貫く姿勢を感じた。
自分が好きなこと、やるべきと思うことを全力でやり、それを人に伝える。
本気な人には、本気な人が手を差し伸べてくれるのだ。
著者は、前野ウルド浩太郎と名乗っているのだが、ウルド、というのはモーリタニアの研究所のババ所長から与えられた「〜の子孫」を表す言葉だそうで、ババの子孫という意味になるようだ。
名を与えられるって、すごいと思う。
この後、この調査で得られたデータをもとに論文を書く、と本書に書いてあったので、これからも読み続けたい。
すごい人がいるものだ!