金平茂紀氏、来鴨す!
昨年11月以来の大山村塾となった。
なんと、今回で22回目の講演会!
2010年の初期の頃は座学もやっていたので、それも合わせるともっと多い回数になる。
メディアが抱える現在の問題について、自身の経験と自戒を込めて、詳しく語ってくれた。
印象的だったのは、メディアの役割について語っていたところだ。
「メディアの役割とは、
1 迅速正確な情報の伝達〜国民の知る権利への奉仕
2 議題設定 agenda setting
3 権力の監視 watch dog
4 少数者の視点 minority
5 多様な意見の確保 diversity
にある」と述べた。
筑紫さんの、「(私の出演するニュース23は今日で終わりですが)たいまつはうけつがれるはずです」という発言を取り上げ、今自分は松明を受け継いでいるか、メディアは受け継いでいるかということを真摯に振り返っていた。
講演を受けて、メディアを批判することは必要だけれど、根本的には、自分がどう生きて行くかが問われているのだと思った。
多様な意見に触れて、その中から選択して行くしかないのであれば、その選択の中心となる視点は、「もし自分があなたなら、あなたの受けている待遇を受け入れることができるだろうか」という、相手と自分の立場が交換される可能性を自覚できるかにあるかだと思う。
人任せにしないで、自分のやれること、やるべきことをごまかさず行なってゆくしかない。
9回目の味噌仕込み!
朝6時に豆の鍋に火をつける。
今日は我が家の味噌仕込み。
数えてみれば、今年で9回目。
だんだんと、年中行事として定着してきた。
この間は、すべて手前味噌で過ごしてきたことになる。
王国で学んだことを、完全に自分のものにできたように思う。
豆がだいぶ煮えてきた。
この大きな羽釜は、自然王国から借りてきたもの。年に一回しか使わないので、借りられるとありがたい。
焦げ付かないように鍋底から混ぜて。
煮上がった豆を冷まして。
冷めた豆にできあがった麹と塩をよく混ぜたものを味噌すり機にかける。
それを樽に詰めていくのだ。
小さかった子供達も、味噌作りの一役をきちんと果たせるようになり、今年はずいぶん助けられた。
義母が義祖母の介護でなかなか作業には入れなくても、子供達がいれば結構回っていた。
生まれた頃からずっとやっていると、体に染みつくものなのかもしれない。
私が、12年前に初めて味噌仕込みをやってみて、家でもできると思い、始めたことが我が家の仕事として定着したのが面白い。
暮らしの中の風景として、続けていきたい作業だ。
「わかる」とは何か
昨日から、家でも麹を仕込んでいる。
明日、我が家でも味噌仕込み。
粘り気もひどくなく、いい感じだ。
こんな感じで、毛布2枚、電気毛布1枚の3枚でくるんでいる。
温度も40度前後を行き来していて、ちょうどいい感じ。
手間をかければ、いいものが出来上がるような気がする。
夕方からは、豆を洗って水に浸す。
家で取れたもの半分、購入したもの半分で、
合計15キロの豆を使う。
全部家で取れるといいんだけど、現状できていないのだからしょうがない。
明朝6時には火をつける予定。
これが、我が家で使う一年の味噌になるのだ。
夜は、塾で千葉県の高校入試過去問を解説する。
出題された問題は、これ。
印象に残った一節がある。
(前略)「わかる」ということには、いくつものレベルがあることが想像できるだろう。
第1のレベルは、言葉の範囲内で理解することであり、第2のレベルは、文が述べている対象世界との関係で理解することであり、さらには第3のレベルとして、自分の知識と経験、感覚に照らして理解すること(いわゆる身体でわかる)というレベルを設定することが必要であろう。
今回の麹しこみなども、同じように考えることができる。
麹は何度に保つことが最も活動しやすいのか、ということを知識として知り、それを実際に何度もやってみて、麹のぬくもりと粘りを手に感じることで、醗酵という状態を身体でわかるようになるということなのだ。
日本の中高生の読解力が国際比較の中で低いという報道があって、これは日々中高生と接している私も実感していること。
農家もやりながら、勉強も教える人でいたい。
お味噌、お届けします。
今日の作業は、自然王国サポーターのみなさまへお届けする味噌の袋詰め。
今年も、美味しくできた。
私が勤める鴨川自然王国では、サポーター制度があって、主に田んぼと大豆の作業をサポーターの皆さんと年間通じて行なっている。田植え、田の草取り2回、稲刈りと、大豆の定植、草取り、収穫、脱穀選別そして味噌仕込みと豆腐作りイベントという流れだ。
私は2004年から自然王国で働かせてもらってきた。(途中約3年は抜けているのだが)
それより前、自然王国創立者の故藤本敏夫さんが始めたのが、この田んぼのイベントと大豆のイベント。おそらく、20年以上このイベントをやっているのではないか。
王国に来てくれる人々と、いままでいろんな作業をしてきて、いろんな話をしてきた。
「ここに来るのが楽しみ」といってくれる人とともに過ごすのはとても楽しい。
同じことをずっとやっていると陳腐化して、飽きられるという話を聞いたことがある。
これは事実、そうなのだろうと思うが、生活とはほぼ同じことの繰り返しに他ならないのではないか。
でも、生活なら繰り返しでいいが、イベントは、単なる繰り返しだと、面白みが感じられなくなってしまうのかもしれない。
自然王国の周りを見渡せば、まだまだやりたいことはどんどん生まれてくる。
それをうまくイベント化するのがポイントなんだろうな。
ふっと出てくるアイディアを形にしていきたい。
面白いこと、一緒にやりませんか?
竹切りと会議と
学年閉鎖2日目の次女は、すでに家が退屈でたまらない。長女は普段どおり登校しているので、遊び相手もいない。
そこで今日の午前中は、三人で竹切りの続きをやることにした。
私が下で竹を伐採している間、妻が210センチに切って、次女が枝を切っていた。
私たちと同じように、ほぼ3時間作業し続けた。
農作業をすることが好きみたいだ。将来はどうなるかわからないけど、今こんな風に一緒に作業できることは楽しいし、幸せだな。
今日は、足を90本、長さ4m強の腕を11本取れた。
目標の300本まで、あと130本。
これを早く終わらせて、鶏小屋建設と田んぼ準備を始めたい。
夜は妻と月例会議。
今年から始めて、2回目。家計のことと、今月の予定を話し合うことにした。
何にどれだけかかっているかを知ることと、何をやろうとしているかを話し合うことで、お互いの予定をつかむことができるし、同じ方向を向いて進んでいけるような気がする。
今月も予定が盛りだくさんだ。
初めてやることもあるし、1つ1つを学びとしていきたい。
雑然→整然
先日、張り切って竹を切った投稿をしたんだが、
これは何年も昔から積みっぱなしになっている竹やわらの上に積んであるもの。
倉庫の間にスペースが作ってあるので、いろんなものを置くのに都合が良く、その都度入れていくとこんな状態になってしまったというわけ。
皆さんに公開するのがはばかられるほど、汚い。
新しく竹を切っても、置く場所もない。
よし、かたづけよう!
というわけで、学年閉鎖で学校がない次女と妻と三人で大片付け。
中に置いてあった竹とわらと、薪を引っ張り出す。
必要なたびに切っていた竹の支柱は、倉庫の中で使われずに虫に食われていたり、乾燥しきった薪が出てきたり、物を出すだけで2時間近くかかった。
それから、使うものと処分するものに分けて、わらは必要量のみ確保する。
軽トラ4杯分のわらは、イチョウの木の下に敷くことにした。
昼までの3時間半でだいたいめどがついたので、午後からは1人で片付け。こちらも2時間。
ようやく終わった!
これで、はざかけ用の竹もきれいに置くことができる。忙しいといい加減になりがちなところも、意識して整理していくことで、定位置管理をしていけるよう進めていく。
明日は竹切り第2弾!
青森からのお手紙。
手紙が届いてるよ、と王国で渡された封筒を開けてみると、手紙と3通の通信が入っていた。
「ほどいも通信」という名の通信だ。
学生時代に関わっていたワークキャンプ団体のキャンパーの女性が、結婚して青森に移住したことをきっかけに始めた通信。
東京で就職していたとき、彼女は何度か鴨川にも遊びにきてくれていて、いろんな話をしたことを思い出した。
そんな彼女が、結婚して家族で青森に移住し、農業研修を始めるなんて!
通信には、様々な村の暮らしが書いてある。
私がここにきたときも、似たような感動を覚えたことを思い出した。
都市生活では味わえないものが、農村部にはあるのだ。これを面白く伝えていくことが、私たちの技術だと思う。
彼女が、これから1つずつ暮らしを作っていくんだなと思うと、「応援したい」というよりは、「一緒にやろう」という気持ちになる。
現場は離れているけど、実現したい暮らしの方向は似ている気がするのだ。
インターネットを使うのではなく、あえて手書きで通信を書いているのだけど、それも始まりとしては素晴らしいし、彼女の味が出ていて、読んでいてとても楽しい。
また、仲間が新しい道を踏み出した。
共に歩こう。
今朝の王国の様子。
いい朝日に照らされた、素敵な朝だった。