楽喜舎日録

2013年1月から始めた「楽喜舎」(らっきしゃ)の日録。日々の暮らしからみえてくるものを発信します。日々実践!

火起こしの予行演習。

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夕方から、七輪で炭の火起こしを行なった。

別に、暇だったからではない。

実は、来月に地元の小学生と里山の炭について学ぶ体験授業を行うことになったのだ。

インパクトのあることをやりたい!と里山の資源循環を説明するために、私たちが焼いた炭で地元のもち米でできた餅を焼けば、美味しくて印象に残るだろう、という目論見。

でも、率直に言って私も七輪を日常的に使っているわけではない。だから、どれくらいの炭を使って、どれくらいの時間で餅を焼ける状態になるのか、餅は何分で焼けるのかを練習してみないといけない。

餅の大きさも問題になってくる。給食前の時間で行うので、あまりおなかいっぱいにさせてしまうのはよくない。

というわけで、2種類の大きさを用意した。

写真は、焼き始めて5分くらいの餅。

この後、もう少し経つとふっくら膨れてくる。

味見してみると、驚くほど美味しい。

外側がカリッと焼けていて、内側はみずみずしい。

これならきっと、子供達にも喜んでもらえるだろう。

今週中にいろんな道具を用意しないといけない。

今週も慌ただしくなりそうだ。

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このイチョウも半分の高さにしたほうが、銀杏の収穫もしやすくなるよ、と出入りの植木屋さんに教えてもらう。来月の半ばまでにやれるといいけど、時間があるかどうかだな。

 

 

焚き火を囲みながら

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今日は新年会を兼ねた、王国の味噌&豆腐作りイベント。十年一日のごとく、年が明けると味噌を作っている。毎年、同じことの繰り返しのように見えても、そもそも暮らすということが同じことの繰り返しなわけで、一年という単位で見れば、節目ごとの行事といってもいいのだろう。

参加者は20人に満たない、こじんまりした会になった。少人数の場合、やる仕事量は変わらないので、意外に忙しくて、それが集中して作業ができる要因にもなる。

2樽90リットル分の味噌を仕込み終え、次は豆腐作り。豆腐作りも、やってみるといかに手間がかかるのか体験できて面白い。私たちも、この日しか豆腐を作らない。

夜の宴会では、新年の抱負やら今それぞれが考えていることなどを語り合った。何を大切にしていくのか、改めてこれを心に思って行動するべきと思う。いろんな場で活動させてもらっているけど、やはりこの王国イベントが私の出発点だと思った。

今までの焚き火場に、石を組んでちょっとした空間を作った。ここで燃やすと、今までと同じように燃やしているのに、ちょっと雰囲気が変わる。

とすれば、同じようなことをしていても、そこにちょっと工夫を加えるだけで受ける印象は随分違うのかもな、と感じた。

まだまだ、面白いことがありそう。

 

 

稲刈り準備を始めよう!

何も他に用事がなくて、久しぶりに家で作業できる日だ。

今までは、コンバインで稲を刈ることを予定していたため、かけ干し用の竹を持っておらず、2年ほど仲間に貸してもらっていた。

今年は、自分である程度の数を準備しようと思っていて、今日がようやくその1日目。

 

伐採場所は、自宅の近く。我が家には孟宗竹と篠竹しかないので、かけ干しの足に適する真竹は、誰かの土地から切らせてもらうしかないのだ。快く切らせてくれて、とても助かる。

ここは、段々になっているので、もしかしたら昔は田んぼだったのかもしれない。

 

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まず、竹をチェーンソーで伐採。

数年前に、竹切り用の刃が多いソーチェーンを買っていたので、ようやく活躍する時が来た。

エンジンの回転数を上げて、ソーがすべらないように竹にあてる。

それを引き上げて、妻が210センチに切断する。

一本の竹から、2本取れる。

2時間ほどで、80本切ることができた。

1人でやるより、手分けしてやれるので作業が進んだ。

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この竹の足が300本もあれば、大勢で一気に刈ることができる。

今年の稲刈りがどうなるかわからない中、時間を見つけてやれることをやっていきたい。

田んぼの準備を考えると、そわそわしてくる。

もう、春はそこまで来ているのかも。

今年も、味噌を仕込みます。

自然王国の週末の味噌作りイベントのために、今日は麹仕込み。

毎年この時期は、王国イベントで味噌を仕込んでいる。味噌は、簡単にいうと大豆を煮て、麹と塩をまぜて寝かすと出来上がる。

この麹が、全てのポイントになる。

 

麹は、蒸した米に麹菌をつけて丸2日間発酵させて作る。このやり方も、ここに来るまでは全然知らなかった。

麹って、何?というレベルだった。

それから13年。

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麹菌を米にまぶしているところ。

40度以上になると麹菌が死んでしまうので、米を冷ましてから作業する。

この後、土曜日の朝まで朝昼晩と様子を見る。

この変化がすごく面白いんだけど、私は土曜日まで王国に行かないので、報告はできない。

土曜日、写真を撮りますね!

 

15キロの米を2つ仕込んだ。

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電気毛布の上に毛布を2枚かけて、発酵スタート!

今年の出来上がりはどうなるだろうか。

やり方は同じなのだけど、出来上がりは少しずつ違って、そうした違いを感じるのも面白い。

 

 毎年の繰り返しだけど、これを繰り返すことで暮らしを営んでいくのだと思う。

2月4日には、自宅でも味噌仕込みをする予定だ。こちらはイベントではなく、家族行事だけど。やってみたい方はご連絡下さいね。

 

何のための仕事?

先週からの炭焼き作業の続き。

だいたい、週のうち火曜日と水曜日が定例作業になりつつある。

今日は木割りといって、90センチに玉切りした材を炭にしやすいよう割っていく作業。

長老たちが残してくれた大きな自作薪割り機で割っていく。

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薪割り機には2人でとりかかるので、それ以外のメンバーは棚木といって、窯の中に炭材をならべたときにできる空間を埋めるために使う短い材を作ったり、割った木を並べる作業を行う。

 

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これが、棚木を積んだ写真。

太いのやら細いのやらがいろいろ混ざることで、隙間なく空間を埋められるというわけだ。

 

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割った木を並べた。写真の左にあるのは、割らなくても炭にできる太さのもの。

これを窯の奥の方に詰めて、割ったものは窯の手前に並べていく。

炭にするときに、窯の手前の方は温度の関係で燃えてしまうことが多いので、燃えてもあまり痛手ではない割り木を置くという仕組みになっている。

 

先日も書いたが、2月13日から、この冬最後の炭焼きを行う予定。ぜひご参加を!

 

ところで、私たちが焼く炭は、欲しい人に売っているのと、自分たちの自給用として利用されている。

一回の炭を焼くのに、5人が10日間以上の時間をかけている。単純に計算しても、作業に見合う対価としての金銭を得られるわけではない。

 

でも、「結局さ、金になんなきゃ意味ないんだよ」
という考えには断固として反対したい。
もちろん、霞を食べて生きていけないのは私でも知っている。
しかし、その行為を行った直接の結果として、金銭という対価を得ることが全てではないと思っているのだ。
一見無駄に思える行為の積み重ねが、総体として生きる道を作っていくのだと確信している。


炭焼きをすることで、私は伐倒技術や機械の使い方を学んでいる。市役所にその目的と内容をプレゼンすることで市からの補助も得られた。その補助を利用して講習会を開いて、来月には地元の小学校に木炭を使った授業をしにいく。周辺事業が生まれてきている。

 

とすれば、暮らしそのものを仕事として、その全てから対価を得られればなんとか生きていけるのではないか?という仮説が成り立つ。

生きていくため、そしてちょっとした余裕のためのお金は必要だし、欲しい。

 でも、それだけを目的にはしたくない。

この仮説を絵空事にはしたくない。

それを証明していく作業が、私にとっては、生きることなのだ。

ここが、暮らしの場となる未来を

先週から引き続いて、炭材の木寄せ。

先週運びきれなかったものを運ぶ日だ。

今日は林さんと2人で作業。

前回ほとんど運んでいたので、軽トラ3往復で運び終わる。

並べられた炭材。

これを、明日は炭窯に入れられるよう木割りを行う。

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今回切ったところは距離にすると15メートルくらいか。これから、時間をかけてきれいにしていくことになるだろう。

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炭焼きは、楽しいし、やっていて意義深い。

しかし、これで対価を得ているわけではないので、いかんせん、忙しくしている中の隙間仕事にならざるを得ない。

仲間の時間がなければ、何とかやりくりして行うしかない。

やりたいこと、やるべきことがあっても、それをうまく実践できていない。

 

そんな中、何気なく手にとった本。 

 

いつか、すべての子供たちに――「ティーチ・フォー・アメリカ」とそこで私が学んだこと

いつか、すべての子供たちに――「ティーチ・フォー・アメリカ」とそこで私が学んだこと

 

 

"Teach For America"というNPOを作った女性の本だ。この団体は、学生が大学を卒業してからの2年間を、全国の小中学校に派遣され先生となるという事業を展開している。最貧困地域では教育が不十分であり、これを解決することがアメリカを発展させるというビジョンをもって取り組んでいるのだ。

現在も活動は継続していて、アメリカで目覚ましい成果を上げ、日本でも似たような取り組みがあるそうだ。

教育については、私も塾講師をしていても常に問題を感じていて、なんとか解決したいと思っているのだけど、今日書きたいことはそのことではない。

 

著者のウェンディ・コップは、この本の中でビジョンを語ることに加えて、自分がいかに資金獲得に奔走したかについて語っている。

ほとんど寝ずに、仕事していることもしばしば。

「アメリカは寄付文化が根付いているから、寄付だけでやっていける」ということがよく語られるが、それほど甘いものではなさそうだ。

寄付をもらうことは、それに対して自分の事業をどう説明するか、共感を得て寄付を得るか、その道筋が語られている。

 

自分に引きつけて考えてみると、今の生活を維持することに汲々としていると言われても仕方のない現状。「それをやることは難しい」などと理屈をつけて、実行に移していないだけのような気がする。

 

どのようにして共に働く仲間を見つけるか。

どのようにしてビジョンを実現するのか。

それが、取り組むべき問題だ。

 

 

 

 

油断大敵なできごと

今日は、藤本家の裏の倉庫に木がかかっているので、それを伐採して、掃除するのが午前中の仕事だった。

 

パッと見て、これまでの木よりは硬くなさそうだし、枝も太くなかった。

たまたま、いつも使っているヘルメットもなかったので、イヤマフ(消音用耳あて)のみで仕事を始めることにした。

倉庫の屋根に登って、どんどん小枝を切っていく。

チェーンソーも小さい方を持って来たので、軽々と動かして、調子がいい。

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倉庫にかかっている枝を切り終えると、屋根を掃いてから木の本体部分に移る。

 

幹は太くても15センチくらいなので、なんてことはない。高いところは、木に登って、切り落としても屋根に落ちないように考えて作業する。

 

1時間ほど作業した頃。

何気なく、土手の方に伸びていた直径10センチほどの枝を切ろうとした。

チェーンソーの刃が噛まないように気をつけて、ゆっくり切る。さあ、終わり、と思った瞬間、

 

ドン!

 

と頭の上から枝葉が落ちて来て、頭に衝撃を与えて土手に倒れかかった。

 

私の切った枝に、数年前の大風で折れた別の木の太い枝がかかっていたのだ。

実は、その木が折れていたのは知っていたし、折れている部分も確認していた。しかし、その枝が私の切った枝にかかっているかどうかまでは見ていなかった。切ってしまった後ではわからないのだが、もしかしたら切る前によく見ていたらわかったかもしれない。

 

幸い、当たった枝はさほど太くなかったのと、イヤマフをしていたおかげで、ほんの少し衝撃が和らげられて、何も怪我はしなかった。

でも、とても怖かった。

 

ヘルメットは簡易なものが王国にも用意してあるし、しかも今日はそれを作業場まで持って来ていたのに、しなくても大丈夫だろうと装着していなかったのだ。

 

今、これを書いていても、思い出すと恐ろしくなる。一瞬の油断が、命取りだ。みんなに、「気をつけて」と言われていて、自分でも意識しているはずなのに、それでも油断していたのだ。

 

またまた徒然草からだが、まさに「高名の木登り」状態。後少しで終わる、というときが一番危険という話だが、今日の出来事はまさに作業に区切りがつく瞬間に起きた出来事だった。

 

 

 

明日も、これからも作業は続く。

きちんと基本動作を確認して、自分も周りの人も傷つけないように作業しよう。

 

無事でよかった、とひとりごちる今日の1日。