使うだけか作る側か?
昨日の雨で、田んぼに水がたまってしまった。
たまる前に田おこしをしたい、と思っていたのだが、作業が間に合わず。合間を見てやるしかないな。
午前中は、シロアリ駆除のお手伝い。
3年前に床下に潜って大規模に薬剤散布を行なったのだが、その際うまく届かなかったところにシロアリが発生していたので、そこを狙ってやってもらうことになった。
シロアリに対する薬剤といっても、ネオニコチノイド系の薬剤ではないものを使ってくれている。その人自身が若い頃に薬の影響で体を壊したことがあったらしく、薬についていろんなことを教えてくれるのだ。
「もっといろいろ研究しないといけないよ」と言われた。確かにその通りで、いつもその人に任せきりな自分を反省する。
先日の新年会でも、登紀子さんが、「使うだけより、作って行くことの方がおもしろいのよ」といっていた。
これは自分も納得しているところで、自分で作れることほど幸せでやりがいのあることはないと思う。
もちろん、全てのものを作ることはできないわけなんだけど、工夫すればするほどおもしろいことができると思う。
鴨川に来て一番おもしろいのは、この、作り出せる、作り出す工夫をできるところだ。
自分の能力も開発できるし、それを見た人の反応も見られる。
もっともっとやりこんで、おもしろいものを作っていきたい。
やる気のないときは。
朝から曇っていて、夕方からは結構な雨が降ってきた。年末頃から晴れが続いていたので、久しぶりの雨だ。
仕事が追いついていないと、気持ちが焦ってしまうのは相変わらずだが、それは気持ちの波のようなものだ、と感じられるようになってきた。
子どもたちの冬休みも今日が最後で、明日からは学校が始まる。ぐずぐずいっている子どもたちを微笑ましく思う。
気分が乗らなくても、始めてみるとだんだんやる気が出てくることがあるものだ。
「ぼく、やる気スイッチないんですよ」といってくる生徒に、「うん。おれもないよ」と身もふたもないことをいう。
脳科学者の池谷裕二さんの本に、「やる気は、やり始めてから出てくる」と書いてあったことをいつも話している。
たとえば、部屋の片付けをしたくないと思っていても、やり始めたら段々と面白くなってくることがある。これも実はちゃんと脳の働きに関係しているそうなのだ。
これを知って以来、やり始めるのだ!と呪文のように言い聞かせるようにしている。
なんだかんだと理由をつけて止まるより、最初の一歩を踏み出すのだ。
その一歩はどう踏み出すの?と聞かれたらどうしよう。
やるしかない、という思いがあれば動けるのかな。
課題をみつけ、解決していくこと
今夜はT&T研究所の新年会。
T&T研究所というのは、歌手の加藤登紀子の主宰する研究所で、私はそこの一員である。
一品持ち寄りだったので、鳥もも肉とネギとシメジの炒め物を作って持っていった。
メンバーそれぞれが報告と今年の展望を述べ合う。
私は、今年から始める予定の拠点運営についてと、子ども達の学習支援事業の可能性について述べた。
塾の講師業を通じていろいろな子どもと接していると、自分で課題を発見、例えば学習においては自分のわからないところ、などをみつけて自分で解決しようとしてみる、という行動が苦手な子が多いことに気づく。早いうちに問題解決能力を身に付けることが必要だと思っているのだけど、その習慣づけはなかなか難しいものだ。
「教育っていうのは、生きる力を身につけるためにあるのよ」と加藤が言う。
まさにその通り。一介の塾講師であろうとも、教育の一部分に関わっている以上、生きる力を身につけてほしいと思っている。
科目の勉強であっても、トライアンドエラーをくりかえしてくという考えと方法を身につけることはできるのではないかと思い、日々接しているのだけど。何か方法を考えなければならないな。
他の研究員の人との話の中で、彼が携わっている生活支援についての話がとても印象に残った。私はここで、地域で活動していこうとしているけど、都市部ではこちらとはまた別の社会問題が非常に多くあることに気づかされた。
結局、必要なことというのは、やりたいことをやるだけでなく、やる必要がある、つまり課題があるところに対してどのような方法で活動していくかということなのではないか。
たくさんある課題の中から、やるべきことをやっていくことが大切だと思った。
明日田んぼ作業をやりながら考えよう。
こんな形で地元に入ってます
実は私は消防団に所属しているのだった。
しかも、そろそろ12年目に入る。
途中忙しくてなかなか活動に出られておらず、肩身がせまいところもある。
しかし、消防団はもちろん地元の人ばかりで、結構なカルチャーショックを受けたものだった。
今では慣れたけれども、この濃い関係に入れてもらえただけでもよかったかもしれない。
一旦火事となれば駆けつける団員の姿は素晴らしいし、自分もできるだけでないと、と思わされる。
出初式の後は新年会。
詳しく書くことは避けるけど笑、大変盛り上がって、いったいいつ終わるのだ?といった状況であった。
今年は我が分団は、5月に操法大会といって、ポンプ車操法を行う年に当たる。体育会のノリになんとかついていきたい。
地域の力を取り戻す
いざ千葉大学へ!
といっても、別に大学院に入学するわけではない。もう一度勉強したい気持ちはあるけど。
今日は、年に一回やらせてもらっている千葉大学での授業。
2009年に地元の大山小学校が廃校になってから、大山廃校利用を考える有志の会の一員として活動している。活動の中で、千葉大学の学生たちと毎年長狭学園の子供達とのイベントを行ってきた。
学生たちは授業の一環で大山に来るのだけど、その事前授業の中の一回分を話をさせてもらえる場としてくれているのだ。
今日のテーマは「地域の中で暮らす」ということ。
地域ってなんだろう?ということを考えたかった。
私が地域を考え始めたのは、自然王国に来てからのこと。自然王国に来て、農業に携わるようになり、自然の中で暮らし始めた。里山帰農塾のスタッフとして、講師の先生方の話を聞く中で、地元学という言葉、さらに、あの「無い物ねだりではなく、あるもの探し」という言葉に出会ったのだ。
これが、自分にとって本当に大きかった。
学生の頃は、私の目は漠然とした、「社会」に向けられていた。社会問題の解決、というような方向性だった。
しかし、鴨川で暮らす中で、目の前の地域、私が息づく地域でこそ取り組むべき実体であると気づいた。
この地域で暮らしていくんだ、と決心したとき、今まで見えなかったものが見えるようになって来た。
それから、いろんな活動をやり始めたのだ。
廃校利用に関わり始めたのも、私の住む大山地区の核となる場所が、地域住民と近い形で存在するべき、コミュニティの核として存在し続けるべきという思いがあったからだ。
小学校があった頃のように、子供の声がきこえて、そして大人たちが集まれる場所になればいいな、と思っている。
地域の力を取り戻す、という言葉は、地域は本来そこに住む人々の総意によって運営されるべきという考えを持っているからだ。
現在では何かと行政にお願いして物事を進めていこうとするきらいがあるのだが、それだけではなく、自分たちで自分たちの村を維持していこう、繋いでいこうということなのだ。
そして、その活動は考えだけでなく、人と人の関係が基盤となって行われることが必要だ。
私も、声をかけてもらったことで廃校利活用のメンバーとして活動し始めた。
人の関係をうねりとして大きな動きにしていきたい、といったことを話したのだった。
でも、学生たちが一番関心を持ったのは、地域通貨“安房マネー”のことだった、というのはやはり地域通貨という活動が持つ可能性を感じさせる。
安房マネーがなければ、この地域はこれほどゆるやかにつながったコミュニティはなかったかもしれない。これは、また項を改めて書くことがあるだろう。
その場に身をおくということ
午前中の塾の授業が終わってから、
を読了。
雑誌連載中にも少し読んでいたのだけど、ふと、身体について考えてみたくなったのと、ハプスブルグ家の埋葬法が心臓と内臓と身体を別の場所に埋葬するというものを思い出して、なぜだったか知りたくなったからだ。
心臓信仰や、ユダヤ人墓地についての話題など、とても興味深く読んだのだが、本編には直接関係なさそうなところを引用する。
自分なんてものはすぐに変わる。だから、その場にそのときの自身の身をおいてみる。その空気を味わってみる。そうすると、考えていたことが確認でき、深まり、新たな地平が広がっていく。
だから、現物に自分であたってみることがいちばん確実だ。人に振り回されないで済む。
この文章は、著者がなぜ墓場巡りをしたかについてのべている部分だが、私が農村に暮らす理由と関係があるかもしれないと思って引用した。
私が農業をしているのは、生活のためと、妻の家に農地があるからなのだが、実は土に触れていると、とても気分が落ち着き、充実感もあることが大きいと思っている。地面を歩くだけで、柔らかな感触が心地いいし、大げさに言えば、エネルギーをもらっている気さえする。
この地を足場にしているからこそ、考えられるし、動いていける。
まだまだ迷いも多いのだけど、迷ったら野に出て、身体を動かしてみることだ。
正月明けで寒いのと、部屋でやることが多くてまだ外で動いてないんだけどね。
先覚者に触れる
なんという名前かわからないが、庭によく飛んでくる鳥。ここのところ晴れが続いているので、よく鳥を見かける。
“学問の道は、すべからく雫の石を穿つごとくせよ”という言葉が、高野長英が宇和島に逃走している時に開いた教室の第1の約束として掲げてあったそうだ。
江戸時代に生きた、高野長英についての詳しい評伝を初めて読んだ。
蘭学者としても医学者としても大変優れていた人だったが、蛮社の獄に連座し終身刑を言い渡された。牢獄に放火させて脱獄し、6年逃亡するも最後は捕吏により撲殺される、という壮絶な人生を送った。
オランダ語に身を全て置いて生活していた、というような話があって、江戸時代末期にこれほどまでに道を究めていた人がいることを知った。
冒頭の言葉は、“西洋の古語に曰く”と書いた後に続けられているのだが、この言葉は何にでも通用すると思う。
雫が硬い石に穴を開けるように、たゆまぬ努力をするべきということだ。
まさにその言葉通り生きたであろう高野長英の人生に思いを馳せた。
長英は、脱獄してから殺されるまでに6年を生きるのだが、各地で仲間が彼をかくまってくれる。かくまうということは、幕府にバレればかくまった家族も処罰を受けるということだ。
文字通り、命をかけて彼を助けた人々が数多くいた。
自分の生き方も問われてくる一冊だった。