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楽喜舎日録

2013年1月から始めた「楽喜舎」(らっきしゃ)の日録。日々の暮らしからみえてくるものを発信します。日々実践!

人に歴史あり

雑感

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我が家には、来月で満96歳になる義祖母がいる。

3年前に脳梗塞を発症し、現在は車椅子生活で、意思疎通も困難な状態になっている。

 

今日、本棚を片付けているとき、写真にあげた冊子を見つけた。昭和57年の発行だ。

何気なくめくると、会長挨拶に義祖母の名が。

これは、と思い捨てずにとっておいて、時間があるときに読み始めてみた。

 

手が止まった箇所がある。

それは、私の住む佐野集落に簡易水道を入れた時の話を義祖母が書いているのを見つけた時だ。

義祖母は現在の南房総市白浜に育ち、昭和26年にここに嫁してきて、学校教員として勤めていた。

少し長いが、当時の状況がよくわかる箇所を引用する。

 私は昭和26年4月に大山の住民となり職業婦人としての生活が始まりました。

  一番苦しかったことは、家に帰ってからの水くみでした。井戸からつるべで、バケツに水を汲んで両手に下げ、30メートルくらい離れた台所の水がめに5回くらい、風呂に15回くらい運ばなければなりません。その他、洗濯の水くみ。水がめ一杯の水を1日大事に使ったものです。

 昭和27年に、井戸にガチャポンプを取りつけてもらいました。やはり運ぶのが大変でした。

 昭和29年11月に、庇の中にポンプを据え付け、そこまで配管して家の中でポンプを押せば風呂や水がめに水が入るようにしてくれました。

  家族全員大喜びでした。しかし、深井戸ではなく溜り水のような井戸のため、しばらく晴天が続くと枯れてしまう状況が夏になると繰り返されました。田谷沢へ洗濯をしに行ったり、近所にあるよく出る井戸にもらい水に行ったり、苦労しました。  

このあと話は、昭和32年に集落に簡易水道を入れる話がまとまり、みんなで引いたところに続く。

そこも感動的なのだが、義祖母が嫁いできて、仕事を終えてから苦労していた様子が偲ばれて、たまらない気持ちになった。

 

簡易水道が引かれてからの様子は、

現在ではどこの家庭でも台所が改善され、水道が取りつけられ生活を明るく楽しいものにしています。

とある。

義祖母の気持ちがよく表れている一文だ。

 

この文章をもっと前に読んでいれば、義祖母にいろんな話を聞けたのだが、今となっては話もできない。しかし、ここに義祖母の歴史が記されている。

その歴史を受け継いで、今私もここに暮らしているのだな。

 

義祖母が水汲みに苦労した井戸は、今は電動ポンプがつけられて、菜園の水やりに使われている。集落全員で引いた簡易水道は、管理者が少なくなってしまい、今は一部の村人が管理していて、我が家は使っていない。改めて、水の大切さを感じる。

 

ちなみに、昭和57年当時はまだこの地区には市営水道がなかったらしく、あと1〜2年でこちらにも市営水道が引かれる予定とあった。ずいぶん先まで水道が来なかったのだ、と驚いた。

 

この冊子には、当時の女性たちの暮らしや思いが綴られていて、大山の歴史としても素晴らしい価値があると思う。大切に保管しておこう。