楽喜舎日録

2013年1月から始めた「楽喜舎」(らっきしゃ)の日録。日々の暮らしからみえてくるものを発信します。日々実践!

遠い「山びこ」

遠い「山びこ」―無着成恭と教え子たちの四十年 (新潮文庫)

遠い「山びこ」―無着成恭と教え子たちの四十年 (新潮文庫)

私たちの世代でも名前だけは聞いたことのある「山びこ学校」の無着成恭(子ども電話相談室の回答者といった方がいいか?)と当時の教え子43人のその後を追ったルポルタージュです。
「山びこ学校」本体はまだ読んだことがない(現在注文中)のですが、本書に引用されている文章を読むと、戦後間もなくの時代の中山間地の農村の様子が伝わってきます。舞台は山元村という、山形県にある村です。
当時は養蚕、林業、わずかな田んぼという生産体系だったようです。
11月から3月は雪に閉ざされる過酷な環境。
子どもたちも、朝四時から夜の11時、12時まで家の手伝いをする状況です。
明日の米も食えない、といったような文章が次々現れます。
さらに驚いたのは、彼らが中学を卒業してからの山元村の状況です。
時代は高度経済成長の手前。ほとんどが村を出てゆかざるを得ない中、佐藤藤三郎という人が村に残って農業をします。
彼も、朝働いて高校に行き、夜も働いて家計を助けるという生活を続けます。
この生活に、農的生活の楽しさなどは、伺えません。
楽しいこともあったのでしょうが、この本を読むと悲惨な境遇が手に取れて、自分たちのしていることは結局豊かな時代の副産物なのかもしれないな、と思います。
もし、農業だけで現金収入を得て生きていかなければならないとすれば、かなり苦しいでしょう。
Yaeちゃんは、全国を歌って回っていますが、田舎には若者がいないというのが実感のようです。たまたま鴨川が、都市からのアクセスもよく、サーフィンもできて田舎暮らしもできるという理想的な場所なのかもしれません。
増刊現代農業に掲載される若者たちが活躍している地域も一部なのだろうなぁ。
自分たちのやっていることに、一瞬戸惑いを覚えてしまうほどの状況を知ってしまいました。
無論、それでくじけているわけではなく、時代の副産物であろうが、恵まれた地域であろうが、与えられた場所で全力を尽くすのが本分です。
地の利は、得ようとしても得られないものなのだから、それを十分に生かさなければならない。
さぁ、今日は電機連合100人の稲刈りです。