楽喜舎日録

2013年1月から始めた「楽喜舎」(らっきしゃ)の日録。日々の暮らしからみえてくるものを発信します。日々実践!

人生の疑問に答えます

養老孟司・太田光 人生の疑問に答えます

養老孟司・太田光 人生の疑問に答えます


仕事の合間に、思わず読んでしまいました。
人生の様々な悩み、仕事や家庭、夢の実現などに対して養老孟司氏と爆笑問題の太田光氏が思いを語っています。

印象に残ったのは、「人はなぜ悩むのか?」についての養老先生の考えです。
養老先生によれば、人間が悩む一つの原因として、脳の構造が右脳、左脳に分かれていることがあげられるそうです。
右脳と左脳は、基本的に正反対のことをやってて、例えば男性の場合、通常、左脳は意識脳で言葉を使い、右脳は無意識脳で言葉にはなっておらず、左がやっていることに対して、右はちょうど正反対のことをするということになっているそうな。
なるほど・・・。このように考えられるのですね。

そして、『中庸』という言葉の説明が興味深いです。
長いですが、すみません。

”「中庸」という言葉がありますが、何か物事をうまくやるためには、どちらか一方に偏るのではなく中庸でなくてはなりません。その中庸を理解するためには正反対のことを評価し、秤量しておかないと、中庸を導きだすことはできません。つまり、両極端がわからなければ中庸はわからない。だから、その両極端のことを左脳と右脳がそれぞれやって、中庸を見極めているんです。”

だから・・・?

”大事なことほど迷う、悩むのは当たり前なんです。言い換えれば、迷わないでやった行動は覚えていない。つまり、記憶に残ってないわけで、記憶に残るのは悩んだことになるわけです。”
"そこで重要なことは、正しい結論を出せるかということではなくて、そうした悩みを考え、それに耐えぬく脳の強さなんです。僕はそういう頭を『頭丈夫』というんだけれど、こうした悩みに負けない力が重要なのです。"

脳の強さか。どういうことをいうんだろうと読み進めると、
”いずれ決断しなくてはならない時期がくれば、決断せざるを得ないわけです。そこでも決断できないでいるということは「決断しないでそのまま過ごす」という決断をしたことになる。それだけのことです。そして、どんな決断をしたにせよ、結果は自分で負わなければいけないことには変わりはありません。”
といっています。
つまり、脳の強さというのは、決断に対して責任を負う自分の強さ、と理解すればよいのでしょうか。
ある意味、非情ですね。当たり前のことなんでしょうが。


そういえば、私は養老孟司氏の諸著作、例えば

唯脳論 (ちくま学芸文庫)

唯脳論 (ちくま学芸文庫)


人間科学

人間科学



考えるヒト (ちくまプリマーブックス)

考えるヒト (ちくまプリマーブックス)


解剖学教室へようこそ (ちくま文庫)

解剖学教室へようこそ (ちくま文庫)


などを学生の頃に読んで、大きな影響を受けてしまいました。
(はりきって参照してみました。どれも面白いと感じています)
これに、さっきのヒントがあるかもしれません。


そもそも養老先生は、私の雑駁な理解では、
現代は都市社会で、それはすべて人間の脳が生み出したものだから、現代は脳化社会だといえる。
具体的には「ああすればこうなる」と、すべてが予想できるかのように錯覚した社会だ。
しかし、自然はすべて予想できるわけではない。自然は、人間でいえば身体だといえる。
身体を置き忘れたことによる弊害が、現代社会に現れているのだ。
身体観をとりもどすことが、人間にとって重要なのだ。
身体観をとりもどすためには、日本人が里山を維持してきた方法である「手入れ」することが必要だ、と考えているのではないかという理解になります。


本書に、その「手入れ」についてビビッと来た表現がありました。

”子どもには、たえず手を加えては反応を見て、手を加えては反応を見るーこの繰り返しが必要なのです。しかし、手入れするのではなく、教育というプログラムを組んで、そのプログラム通りにやればいい、というのが今の論議なのです。”
”プログラムは、一度動き出せば、あとはほったらかしでも動きますが、手入れは努力、辛抱、根性が必要になります。(拡大は引用者)”


これは、子どもが対象となっている手入れですが、自宅の菜園を思うにつけ、手入れするには努力、辛抱、根性がいると思わざるを得ません。自宅の菜園は、私の修行の場かもしれません・・・・(苦笑)
王国はミツヲ氏に従っていれば何とかなりますが、自宅の菜園はそうはいきません。

本書のように悩みながらも、秋野菜の作付けをして、お世話していこうか。
努力、辛抱、根性で「手入れ」しているうちに、決断に対して責任を負えるように強くなれるのかもしれないな。
養老流にいえば、「どうしたらら強くなれるかなん考えているうちは、まだまだ『ああすればこうなる』の世界から抜けられていないぞ」といわれるような気がしますが。

そんなことを書いているうちに、また雨が降ってきた。
鴨川は不思議と、豪雨が少なかったのですが、今降っているやつは結構強そうだ。
菜園は来週から始めようか。(収穫は遅れるんですけどね。)
まぁ、自家用だから、気負わずゆこう。気になるのは家族の視線・・・(ぎゃあ!)