楽喜舎日録

2013年1月から始めた「楽喜舎」(らっきしゃ)の日録。日々の暮らしからみえてくるものを発信します。日々実践!

放浪のダダイスト辻潤


4時過ぎに起床して、犬にえさをやります。
暑いせいか、以前より食欲がありません。
食欲はないが、5時前になると散歩をせがんでほえるのです。
まだみんな寝てるし、お隣さんも近いし、
面倒くさいな、と思いつつも散歩に連れ出します。


30分くらい歩くと気分転換にいいよ、とどこかの本に
書いてあったので、ウォーキングシューズをはいて犬と散歩。
今日はちょっと遠回りしてみました。
家の周りは、もちろん田んぼだらけです。
稲の花が咲いて、穂が出てきています。
食品加工場は5時前でももうフル稼働しています。


「なんか行き詰ってきたなぁ、どうしようかなぁ。」
と考えていても答えは見つからず、田を見たり、空を見たり、
無心に歩き続ける犬を見ながら帰ってきました。


家に帰ると、3日ほど前から読み進めてきた読書の続き。


この本に、辻潤の言葉として引用されている言葉があります。


”自分の生きていく標準を他に求めないことである。人は各自自分の物尺によって生きよというのである。それ以外には何の道徳も標準もないのである。一々聖人や賢人の格言や、お経の文句を引き合いに出してくる必要がなくなるのである。約束や習慣はその時々に最も便宜であると思われるものを選べばよいのである。世の中にこれでなければならないという客観的標準は一つだってありはしないのである。”

”健康で、無邪気で、自然に、その日その日を送ってゆかれたら、そのほかに何の問題もなくなるのじゃあるまいか------。犬や猫や植物やなにかは別段目的もなく、ただ生きてゆければそれでいいように思われる、人間だってやはり結局は生きればいいのだ、唯それだけの話なのだ、犬や猫や、松の木とちがうところは欲望が複雑だというだけだ、しかし複雑だということは別段たいした自慢にもならない、特別にそんなことをエラそうに考えるだけが可笑しな話なのだ。”


辻潤は、今の世で記述されることがあるとすれば、関東大震災で虐殺されたアナーキスト大杉栄の妻伊藤野枝の前の夫であり、放浪して死んだということだけだそうです。
私自身、このような認識しかなく、どんな人なのだろう?と考えていたところにこの本に会えたので、むさぼるように読みました。


大正時代について、調べて行く必要性がありそうです。明治と昭和にはさまれた短い期間、というような印象しかありませんが、この本を読んだだけでも魅力的な人物がたくさんいたことがわかります。
ダダイストについては、定義をいわれてもまだ実感するところはありませんが、私にできるとすればダダイストとお付き合いすることくらいかなぁ。
いや、お付き合いすらできないかもしれない・・・


この本は、玉川信明セレクション 日本アウトロー列傳の一冊目です。
実はすでに、前五冊購入済。そのうち、辻潤と、山岸巳代蔵について書いた作品を読みました。残り三冊も面白そうです。突然、大正時代に呼ばれた感があります。


さらに、先日の帰農塾の高野孟さんの講義に「田中角栄」の話が出てきて、これまた田中角栄関連本を9冊購入。
今の日本を知るために、私にとってはすでに歴史的人物とも感じられていた田中角栄を知る必要がありそうです。
日本の歴史だけじゃなくって、戦後政治史も勉強しなきゃいけなくなりました。
忙しくなってきた。


それから、今日は王国イベントです。
熱中症予防のために、粉末ポカリスエットを用意しました。
大きなテントも購入済。
元気に楽しく過ごしましょう!