楽喜舎日録

2013年1月から始めた「楽喜舎」(らっきしゃ)の日録。日々の暮らしからみえてくるものを発信します。日々実践!

「『わからない』という方法」


昨日の大雨で、畑に入るのが難しかったので、
グラインダーを使って直管を切りました。
約80センチに切り、これはアスパラガスの
支柱を支えるために使います。
去年初めてグラインダーを使いましたが、
2年目になるとまあまあ使えるようになってきました。
三尾さんと二人で合計100本くらい切りました。
何でも、集中してやる仕事は楽しいです。


こんな本を読み始めました。
(最近本ネタばかりですな)

「わからない」という方法 (集英社新書)

「わからない」という方法 (集英社新書)


前書きしか読んでいませんが
とても面白い考えに出会いました。
長いですが、引用します。


「私には、『わからない』と思うことがいくらでもある。
そういうことを一つ一つつぶして行くのが人生だと
思っているから、やることはいくらでもある。・・・
『わからない』がスタート地点で、『わかった』がゴール。
『わかる』はその間をつなぐ道筋である。・・・
『わからない』は思索のスタート地点である。
そこから始めればこそ、『わからない』は思索の『方法』となる。
『わからないからやーめた』であきらめれば、そこは挫折の
ゴールである。『わからない』が『方法』になるかどうかは、
それを『方法』として採用するかどうかの、
決断にかかっているのである。」

                    (引用終わり)


自分は、『どのように』わからないのか?
著者はそれを考え、わからないことの方向性をまとめよ、
といいます。


自分の気持ちが混乱して、なにがなんだか
わからなくなってしまうときがあります。
自分のやっていることが否定されてしまうと、なおさら
しんどくなってしまいます。
そんな時、ふと自分に問いかけてみました。


「誰かに認めてもらうために仕事してんの?」


心の奥底に問いかけてみると、私の中には確かに
自分を認めてもらいたいという思いがあります。
だから、私は無意識のうちに自分を受け入れてくれる人だけと
つきあうことが多くなってしまうのかもしれません。
自分が貶められたり、無視されたり、否定されたりすると、
「オレは自分がかわいいんだ!」というナルシシズムが湧き上がり、
傷つくのが怖くて、逃げ出してしまうのかな。
否定されるのが怖いのですね。


まずは、その「怖い」という気持ちを、
「そうだよね、わかるよ」と言ってやれる人になろうと思いました。
「がんばれよ!」という言葉は誰でも言えるから。


そして、ここから出発です。
たとえ誰かに認めてもらわなくても、
自分が心から満足して、楽しんでいることをやれていれば
それでいいんじゃない?

自分には自分の正しさがあるし、他人には他人の正しさがある。
もちろん、謙虚に自分を見つめることは必要だよ。
しかし、見つめたとき、直すべきところと直さずともよいところを
見極められたなら、後はなんら気にすることはない。
私は他人の人生を生きるわけではなく、
私は私の人生を生きるわけだから。
たとえ無視されたり、否定されたりしたって、
それによって私という存在の価値は微動だにしない。

だから、無理するな。
今できなければ、できるようになった自分を描いて
進んでゆけばいいだけじゃないか。


焦らずともよい。
やるべきことをたんたんとやり続けるだけだ