楽喜舎日録

2013年1月から始めた「楽喜舎」(らっきしゃ)の日録。日々の暮らしからみえてくるものを発信します。日々実践!

種採り


何の写真だか、わかりますか?
これ、モロヘイヤです。
今年初めて育てたのですが、
あまりのおいしさにびっくりしました。
ツルムラサキのようなえぐみも少なく、
オクラのようにねばねばします。


エジプト原産だそうで、向こうの人達は
これをほんとによく食べるそうな。
確かに、食べるだけで元気が出てきそうな感じです。


そこで、種を取ろうと思いつきました。
収穫を終えたのは9月頃。
そして、モロヘイヤの樹が枯れきったのが
今月初めです。種を熟成させるため
枯れるまで置いておかないといけないので
採種のための期間がとても長くかかります。
畑が中途半端に空いてしまい、効率も悪くなります。


でも、モロヘイヤを畑にそのままにするのを許してもらい、
今日は、1週間前に取っていたさやから種を採りました。
モロヘイヤのさやは、手で裂くと五つの部位からなっていて、
そのさやの中にきれいに種が並んで入っています。
ざっと見た感じ、一さやから100粒位は取れそうです。


よく枯れて、熟成した種はさやから滑り落ちるのですが、
中途半端なものは手で取ってやらないと取れません。
やはり、熟成というのは大事なのですね。


そういえば、今月の現代農業に、なだいなださんの
話が載っていたのですが、
『農業とは待つことである』
という言葉がとても印象的でした。


種を蒔いて、野菜が育って収穫までの時間が
かかるのはもうわかっていましたが、
種を採るまでにもこれだけ時間がかかるとは、少し予想外でした。


植物と接していて常に思うのは、
『時間』という現実です。
野菜の本を見ると、生長点の細胞が分裂しつづけ、生長してゆく、
等とかいてありますが、見ていると本当に少しずつですが、
全てのものが大きくなっていきます。
もちろん、収穫が始まってもまだ大きくなったり、
大きくならなくても形が変わっていったりします。


変わらないものはないのだよ
という言葉は、概念ではなく自然の現実です。
自然と接しているから、長く言われてきた言葉の
意味を考えられるのかもしれません。


今日とったモロヘイヤの種は保管して、
来年の春に蒔く予定です。
初めて採取したので、発芽率が心配ですが、
それも、『待つ』ことから始めてゆきます。